願わくは 花のしたにて

3月8日、祖父が旅立ちました。享年103歳でした。

私にとって祖父は「とても厳しい人」というイメージを持っていましたが、厳しいことを言われた記憶がありません。よくよく話しを聞いてみると、自分に厳しく、自分の跡を継ぐ父にも厳しく、仕事にはもっと厳しかったそうです。
そんな祖父も、私が同じ大学・同じ学科に入学が決まった時に、ものすごく喜んでくれました。
食事時にはいつもニコニコ、私や弟の話を聞いてくれていました。通知表などを見せた時に、その成績が良いととても褒めてくれました。

ここ1年くらいでしょうか、ほぼ寝たきりになっていましたが、食事はしっかり食べていたし、自分で歩いてトイレに行ったりしていたそうです。
昨年のゴールデンウィークに帰省した時、少し早いけど身内だけで祖父の誕生会をしようということになりお弁当を取ったのですが、私達と同じ食べ物をしっかり食べていたことに驚きました。何回か体調を崩し入院していましたが、「病院は嫌だ」と元気になって戻ってきていたので今回も大したことはない、すぐに元通り元気になるだろうと思っていました。

3月6日夕方救急車で病院に運ばれ、そのまま入院し8日に呼吸を助けるための酸素マスクを外したところ眠るように旅立ったそうです。

これは伯母に聞いた話ですが、生前祖父は西行法師の歌をとても好んでいたとのこと、その歌を紹介します。

「願わくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃」
願わくは、春、桜の花の咲く下で死にたいものだ。あの釈迦が入滅した2月15日の頃に

西行法師はこの歌の通り、旧暦の2月16日に亡くなったそうです。現在の暦ではこの日が3月中旬(とあるサイトでは3月20日頃と記載も有り)、ちょうど今くらいの時期で祖父も西行法師の歌のように旅立って行きました。

祖母もすでに他界しているため実家が少し寂しくなります。おじいちゃんにひ孫を見せてあげたかったなぁ。

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